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模倣の時代・下
仮説社
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陸軍からもほぼ姿を消したかにみえた脚気病は,「日清・日露戦争」において再三猛威をふるった。脚気による損害が,戦闘による損害をはるかに上まったのである。それは陸軍軍医の中枢を握る半麦飯派が戦時体制を利用して戦場に白米を送った結果であった。
さすがに戦後は「戦場での大量殺人犯」を追求する声がわきおこった。しかし,森林太郎(鴎外)・青山胤道の東大医学部コンビはそれを頑としてかわし,「米ヌカ」の研究を弾圧しにかかったのである。しかし,それは都築甚之助の新薬開発を加速することになった。
一方,植民地における奇病「ベリベリ」の研究から,欧米の医学者たちの関心は米ヌカに含まれる新物資にそそがれるようになっていた。その情報に愕然とした医学界の中枢は,混乱の中にも栄光の横領にとりかかる……。真理はいかにして決まるか。ビタミン発見前夜の科学者の熱い戦いを描き,創造性のメカニズムを浮き彫りにする壮大な科学史ロマン。
★★ もくじ ★★
第四部 頑迷なる秀才が天下をとったとき
エイクマンの〈ニワトリの白米病〉の発見と追試
第五部 日露戦争における脚気大量発生問題
臨時脚気病調査会の成立
第六部 日本での脚気の部分的栄養欠乏説の成立
新しい脚気研究の時代を開いた人々
第七部 「ビタミンB1欠乏説」の確率
日本における脚気の絶滅
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- 紙版
- 電子書籍(EPUB)
書誌情報
-
著者
板倉聖宣 著 -
判型
四六判 -
ページ数
622 -
発行日
1988年3月25日 -
ISBN / JAN
978-4-7735-0076-9 -
Cコード
21 -
対象年齢
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●板倉 聖宣 (イタクラ キヨノブ)著
1930年 東京の下町(現・台東区東上野)に生まれる。
1951年 学生時代に自然弁証法研究会を組織。機関誌『科学と方法』を創刊。
1958年 物理学の歴史の研究によって理学博士となる。
1959年 国立教育研究所(現・国立教育政策研究所)に勤務。
1963年 仮説実験授業を提唱。仮説実験授業研究会代表(~2018)。
1973年 月刊『ひと』(太郎次郎社)を遠山啓らと創刊。
1983年 月刊『たのしい授業』(仮説社)を創刊。2018年まで編集代表。
1995年 国立教育研究所を定年退職(名誉所員)。私立板倉研究室を設立。サイエンスシアター運動を提唱・実施。その後「科学の碑』の建設なども。
2013~16年度 科学史学会会長。
2018年 2月7日 逝去。
著書は科学史・教育史の専門書の他,仮説実験授業を中心とする科学教育・社会の科学,特に歴史教育,科学啓蒙書,科学読み物,絵本など,広い範囲にわたって多数。
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仮説実験授業の普及と脚気の歴史が重なるように思えました。
創造性ということについて、改めて考えさせられました。
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